1687年(江戸時代中期)京都の知恩院の近くに「宮崎友禅」という人物おり、彼は扇の絵師であったのですが、その画風が評判になりその後に染め物の図案家として世に広まりました。また、その頃から京都の染めの技術も向上し、京都は染色の産地として栄えました。長年その伝統技術を培い、伝統と現代の染色技術の融合により染色産地としての京都があります。
▲「鴨川友禅流し」明治35年頃から鴨川で染め上がった反物から染料を定着させる糊を落とす為の洗いという工程をしていました。昭和46年に水質汚染防止法が施行されて以降は、鴨川での友禅流しはなくなりました。